平成30年1月9日(火)

京都|蓮久寺と木乃婦

蓮久寺

上京区の寺の次男だった。次男は寺を継がないので、能勢妙見宮に3年ほど務めた。
オオタギョウエエンさんに、説法がうまいと言われて、愛知県三河に3年行ったが、言葉や習慣が違うので、京都に戻ってきて、三条川端に住んでいた。
ところが、すごく貧乏で、家賃も払えないくらい、道の草を食べるくらい、困った。
仏を信じられなくなって、坊さんを止めようと思って奥さんに言うと、
「もう一回信じてやったらどうや、お金持ちは多いけど、立派な坊さんは少ない」と言われてやってみたが、向上せず、貧乏神はいるけど、仏さんはいない、とまた奥さんに言ったら、
「しゃーないなあ」と言われたので、MKタクシーに面接にいこうと思ったときに、奥さんが顔面神経麻痺になった。
病院にいったとき、2千数百円しかなかった。ステロイド剤1回は、医師のおごりで、売ってもらったが、その医師によると、1年間注射して、1年後必ずうつ病になるから、その後は一生加療が必要と言われ、そんな金がない。
そこで、三条川端の猿の剥製のある漢方薬(平井常栄堂らしい)に入ったら、
「お坊さんは7に縁があるから、このお茶を7日間飲みなさい」と2800円分もらった、それで10日分くらい。
7という数字は、お釈迦さんが生まれたときに7歩歩いた。悟りを開いた後、7日間迷った、ことから。
それで、その漢方薬を煮出して、飲んだら、7日目に治った。
そこで、病院に言ったら、血液を売ってくれ、と言われて1万円で売って、その1万円は前の治療代として払ってきた。
貧乏神と疫病神はいるが、仏はおらんと、思ったが、奥さんに、
「もう一度信じてみたら」と言われて、布教をしていたら、
今は亡くなったが、ある有名料亭の女将に声をかけられた。面倒を見てやる、と。
面倒は見てもらわなくていいけど、滞納している家賃を払ってもらった。40万円くらい。
それで、あといろいろあって、廃寺になっていた、蓮久寺を継ぐことになった。
ぼろぼろの寺だった。
あるひ、寝ていると、隣の本堂で音がする、
見ると、金槌をもったおっさんがいた。出ていこうとすると、袋から何かがこぼれた、
「おっさん、何か落としたで、」と声をかけると、「それくらい、おいていってもええわ」と出ていった。
ところが、それは夢、正座して夢を見ていた。
奥の方から、ぼろぼろの大国さんが出てきた。夢に見たのは大国さんやった。
蓮久寺は、歴代の住職が、妙見山や、常寂光寺などに出世していったので、出世寺だと言われている。
自分は、出ていくつもりはなく、ずっとここにいたい、とお願いした。
大国さんがぼろぼろだったので、仏壇屋に預けたら、普段は売れないような仏壇がいっきに3つも売れた。これは大国さんのおかげ、とお布施と一緒に返してきた。
それから、若い仏師に預けたら、また大きな仕事がきた。
死ぬつもりで、大国さんに布施した人は、そのあと宝くじがあたり、その金で競馬にいったら万馬券。
本堂面の七福神は、ビルを壊すときに持ってこられたものを、置いておいたら、石屋が台座を作って置いていった。