千本釈迦堂、大報恩寺、
垂木が千本あった(らしい)ことから、千本、という名がついたとか。
本堂は、洛中でもっとも古い建築で、鎌倉時代、1227年建立。国宝。
御本尊 釈迦如来像は、年に4回の御開帳、1月3が日、節分祭、8月お盆、12月7-8日の大根炊き、
「なんで、もっと開かへんねん」と仏さんは言っているかもしれない。
快慶の一番弟子、行快 (ぎょうかい)の作とされる。
藤原秀衡の孫、義空(ぎくう)上人の開山である。
義経の死後、鎌倉に逃げて、その後比叡山に登った。10数年後、京都に降りてきて、藤原を再興する願いで、堂を建てた。
参考サイト:http://touhoku.blog.jp/archives/50939542.html 、東北ブログ
逗子は、高御座になっていて、国宝。
釈迦如来像は重要文化財だが、装飾品は国宝。
おかめは、棟梁の奥さんで、棟梁の大失敗がその後有名になる発端。
その失敗は、柱を一本だけ30センチほど短かく切ってしまった。
奥さんのおかめは、佛さんに日参すると、夢枕に現れ、枡を組み合わせる、という工夫をもらった。
当時、女が男に仕事に口を出すのはご法度だっため、おかめは、棟上げの前日に自害した。
棟上げのときに、棟梁は、おかめの顔をゴヘイに彫って、大黒柱の上に祀った。
それを聞いた、開山師義空が、おかめの塚を作って祀った。
応仁の乱で、西軍の陣地になったため、激しい戦闘があったので、柱に刀傷や槍、矢の後が残った。
昭和の大修理の際に、傷の激しい柱を、中に移した。
本堂の作りの外陣は、義空が初めて作った。
厨子を囲む四本の柱は、そえぞれに、四天王が描かれた四天柱。
以前は、その柱も、触れていたので、下のほうが、黒ずんでいる。
2月15日の満月の日に、遺教経(ゆいぎょうきょう)が行われる。千本釈迦堂の声明。
吉田兼好がお参りをした。
当時の女性が、兼行にちょっかいを出したら、逃げて帰って、あとでからかわれた、という話が徒然草にある、それは、この寺でのこと。
現在のご住職は、本堂は国宝だが、柱をなでても、抱いても結構です、オカメさん夫妻の温かい心を持って帰ってください、と言っている。
2018年10月6日~12月9日まで、東京国立博物館へ、本尊ははじめての出張。
奥には、奉納されたオカメさん、オカメさんの特徴が、
おちょぼ口、張り出たおでこ、色白、ほっぺた、二重あご、、、、おたふくは、オカメさんのニックネーム。
菩提樹は、葉から直接実が出てるのが、インドの本物の菩提樹で、葉がギザギザ、この実は、日本は気候が合わないので、大きくはならないが、大きくなると、数珠になる。
宝物館には、足利尊氏が乗って来た車の車輪がある、軸が折れて入れ替えたので、ここにある。
太鼓のまわりの装飾は、金色と龍が太陽、銀色と鳳凰が月。
六観音は、経堂に祀られていた。
六道を表し、地獄側から、聖観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝観音、如意輪観音。
千手観音は、一本、何も持たない手があり、それは奥の手。
その横の仏像は、梅の木で伝、藤原道真の作と言われる。
京夕け善哉(よきかな)は、今年で11年、笹井ご夫妻で営業してる。
出汁はカツオの味がよく出て、昆布を引く。
鱧も、柔らかく、
私は、煮物が柔らかくしっかりとしていて、煮物と、赤だし、ぬか漬け、が抜群だと思った。
ご飯は、丹波のコシヒカリ。
煮物が旨い。