平成31年1月8日(火)
京都市 百万遍知恩寺とラ・パール・デュー
長徳山(ちょうとくざん)功徳院(くどくいん)百万遍知恩寺。がフルネーム。
山号院名寺名、3つで正式名称。例えば、華頂山知恩教院大谷寺。
知恩院御廟、法然が祀られている。
ここは、4つ名前がある。
浄土宗大本山。
浄土宗は、一つの総本山、7つの大本山。
大本山は、
東京1、芝の増上寺。
鎌倉、光明寺、お十夜の発祥。
大本山ではないが、鎌倉大仏は、高徳院は、浄土宗。触ることが出来る、つまり、この中に入ることが出来る、国宝で触れるのは、これくらい。
長野県善光寺。
京都には3つ、百万遍、金戒光明寺、清浄華院。清浄華院は、御所と府立病院の間、皇室系が祀られている。
7つ目は、久留米の善導寺。
合わせて、7つの大本山と、総本山=8つ。
西国巡り33箇所、弘法大師は真言宗。のうち、半分くらいは真言宗。
四国88箇所のうち、1つだけ真言宗でないところがある。
法然上人、25霊場、ここは、22番目。
知恩院とよく間違えられるが、知恩寺の名前は、恩を知る寺、法然が開基。第ニ世源智(げんち)上人が法然上人の最期まで世話をした。源智上人は元々、平清盛のひ孫。
知恩院と建物が似ている。こっちの方がちょっと大きい。
知恩院の七不思議、瓦の上、てっぺんに瓦が乗っているのは、まだ工事が終わっていない、という意味。図面は、知恩寺のもので、工事が終わっていないから、図面は返せない、と言って、反ってこない。
うちの方が後で作った。重要文化財。
法然上人は80歳くらいまで生きた。長寿。親鸞も80歳位。法然上人像は、43歳、浄土宗を開かれたときの姿で、鎌倉時代に作られた木像。40数年前に、京都国立博物館国宝修理所に預けた。今の執事長が若いときに呼ばれて行った。レントゲンで、中になにか入っていますよ。煙草の包みくらいの紙が入っていた。その中身は、法然上人の御骨、白い御骨が出てきた。それと、5mmくらいの赤茶けた髪が出てきた。当時800年前、鎌倉仏教が広まった時代。天台宗、真言宗は数百年経っていた。比叡山は学問所、鎌倉時代、念仏が広がってきた。浄土宗は当時、まだ新興宗教だった。当時のお弟子がご遺骸を守った。闇に紛れて、嵯峨 法明寺 長岡京青の光明寺で荼毘に付した。その時、御遺骨をお分けした。源智上人の筆跡で、紙に、御骨。
亡くなって、18年後に荼毘に付した。御遺骨、髪が木像の中に入っているので、木像は法然上人そのものと思う。
4つの名前があって、他より1つ多い。後醍醐天皇、法然より500年ほど後、京都で疫病が蔓延した。後醍醐天皇が、あっちこっちでお願いしてご祈祷。第八世知恩寺空円(くうえん)上人が御所に呼ばれた。
巨大な軸、南無阿弥陀仏、災いを削ぎ落とす。7日間、ずっと念仏をとなえたところ、疫病は収まった。後醍醐天皇に、何回となえたか?ときかれて、百万遍ととなえた、と答えたので、百万遍、という名前を天皇から拝命した。
そのときに、軸と数珠を頂いた。
それ以来、数珠が有名。
浄土宗は、二連の数珠を親指にかける。大数珠は、1080珠、350キログラム、250人位でくる。
ラパール
63種類のサラダは、それをとってきてくれる人ありきの63種類。ビストロだったレストランを引き継いだ。
珍しい野菜。何の根っこやったっけ。セロリだっかな。珍しい野菜を食べた。
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