[朝日カルチャー]京都市 即成院と澤正

令和元年(2019年)年6月6日(木)

即成院(そくじょういん)

平安時代の創建。 藤原頼通の子、橘俊綱(たちばなとしつな)が、1000年前に平等院に建立、明治時代の廃仏毀釈で、現在地に移った。

中心の阿弥陀如来と、観音菩薩、勢至菩薩、向かって右手に三列四段12菩薩、向かって左に三列四段の11菩薩。この25菩薩が、阿弥陀仏とともに臨終の際に来迎する。

阿弥陀如来と25菩薩は、通常、現世には留まらないが、向かって左の最手前段、最左の如意輪観音は、現世に留まる観音で、来迎を迎え、見送る役割として、また、左右のバランスのために、そこに加わっている。 現世に留まる、というために、25菩薩は通常は立ち姿であるところ、即成院では、座っている。また、勢至菩薩、観音菩薩は、大和座りであるが、もっとも、低い姿勢の大和座りとなっている。

向かって右の最手前段再左の地蔵菩薩と、向かって左の勢至菩薩を除き、冠の無い菩薩像は平安時代、その他は江戸時代。

向かって右、最手前段真ん中の獅子吼菩薩は、歯を見せて笑っている。その真後ろの菩薩は、笙(しょう)を1000年間吹き続けている。そこで、笙だけのCDを寺で制作。また、声を出す仕事の人が訪れる。

仏像は、中が空洞で、外内ともに、金箔。中側は、現在でも金箔が光っている。 仏像が空洞であるため、音の響きが良い、ということらしい。

本堂はの壁は漆喰で、昭和時代の建築。

本堂天井から吊り下げた瓔珞(ようらく)は、阪神淡路大震災の際に、部分が落ちため、外して修理をした。その際に、洗をしたとこと、内側天井部に制作当時に描かれた鳳凰図と、金色が蘇った。瓔珞の重さは250キログラムあり、再び、仏像のある本堂に吊り下げるのは、文化庁から許可されず、現在は、外陣に吊り下げられている。

菩薩体験は、事前申し込みで、江戸時代制作の菩薩面を当てることができる。 菩薩面は、25菩薩のものがある。

本堂の裏手には、那須与一の墓がある。現在は、堂を立て直し中のため、外にあるが、堂完成後は、再び堂内になる。

境内には、現代作家のオブジェが立っており、本堂に向かって右手の球体は山野愛子美容室、美肌祈願にご利益がある、とも言うが、実は、オブジェの下には、1000年後に開封するためのタイムカプセルがある。

源氏物語の主人公・光源氏のモチーフになったとされる、藤原道長。小学校の歴史の教科書にも出てくる彼もまた、近衞家の先祖である。
平安貴族の栄華を極めた彼は、死した後も極楽浄土でその時代を味わいたいと願い、寛弘4年(1007)写経を金峯山の山頂に埋めた。ちょうど今から1000年も昔のことである。
経筒は、その後700年間地中に眠り、今から300年前の元禄4年(1691)、大峯山寺の再建で発見されて現在に至る。 まさにタイムカプセルだ。

出典:blog.正雅堂 https://ameblo.jp/maurice/entry-10067383612.html

京都国立博物館 https://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kouko/88kiniro.html
と同じように、現代の人が、納めたものが入っているそうだ。 本堂にある、折り紙は、折紙作家が毎年干支のものを送ってくるもので、大河ドラマ以来の縁。

澤正

現在のご主人が、近所で、子供の頃から遊んでいたところ、建物が壊されるのが惜しくて、店を開いた。

劇団四季の団員は、京都公演があると、訪れるそうだ。

江戸切子の作家とご主人が友人で、店で販売はしていないが、展示もしている。

中国の古い山水画のような絵柄の食器は、現代の作家のもので、やはりご主人と友人で、オリジナルで作ってもらったもの。

日本酒は、ウルトラドライというものは、植物「月下美人」の酵母で、蔵元は九州佐賀の天吹酒造。 酒器が様々で、過去には、潰れるのが先か、酒器のバリエーションがなくなるのが先か、と店と顧客で勝負したこともあり、結果は引き分けだったそうだ。

酢は千鳥酢、野菜は、あるがままの田中農園、こちらは端境期を作る農家で、家業の農家を継がず自衛隊に入り、地面を転がっている内に、やはり土を触っていたいと、北海道から3ヶ月半かけて、あるいて京都に返ってきた。 もう一つは、山科の神田農園。

ベジタリアンを希望すると、叶えてくれた。

二八蕎麦は、冷温、リクエスト。汁が濃いめ、蕎麦の湯がにじみ出るのを計算してか、のため、蕎麦抜きはしないので、多かったら、残して下さい、とのことだった。