ホテル発展の歴史

内容: 欧米と日本における、宿泊業の発展に寄与した各時代の工夫について説明する。

事前の学習(30 分)
特にフランスとアメリカの中世から近代の大きな歴史を確認する。

事後の学習( 60分)
もし、あなた自身が宿泊施設を経営や運営をするのであれば、どのような宿泊施設にし、またどのような新たな工夫をしようとするのかを考える。

今日の内容

  1. 欧米の宿泊産業
  2. 日本の宿泊産業
  3. 観光とホテル

欧米の宿泊産業

1700年代の欧米でホテルは誕生した

世界地図

イギリスでは、産業革命の結果、蒸気機関車が出来て、馬のない人でも移動出来るようになり、ホテルが発達した。

フランスでは、フランス革命の結果、貴族の屋敷が開放されて(貴族が収入源が無くなり)、ホテルが登場した。

アメリカでは、独立した結果、市民のための施設として、ホテルが登場した。

贅沢のためのホテル

テキスト「ホテルビジネス基礎編」4ページ

フランス革命(1789年 – 1799年)後、貴族の館だった家を利用して、誰でも貴族のような体験が出来るように、ホテルを作ったのは、ホテルで働いていた、セザール・リッツCesar Ritz (1850~1918)と、料理人の、ジョルジュ・オーギュスト・エスコフィエ(1846~1935)
後に、リッツは、「ホテル王」、エスコフィエは、「近代フランス料理の祖」と言われるようになった。

彼は客室がベルサイユ宮殿を模したようなホテルを造った。


新しいサービス

  • 黒服のバトラーサービス
  • 当時の貴族の料理をホテルのものとして取り入れた
  • お客に対して、ホテル利用の礼儀作法を規定した「ドレス・コード」を初めて作成した

みんなのためのホテル

南北戦争(1860年~1865年)後、広いアメリカ中を移動するセールスという職種が出現した。
スタットラー(近代ホテルの革命王:Ellsworth Milton (E.M.) Statler)は、そのセールスマンをターゲットにし、「ビジネスで旅行する人とその家族のために、清潔なベッドとバスがあるホテル」という発想で、1908年1月に、Hotel Statler buffloを開業した。
建設コストを下げるために、各階のレイアウトを統一した。また「1ドル半でバス付きの部屋を」というキャッチフレーズで、低価格で合理的なサービスを開始した。
※1ドル半は今の1万円くらい。

Three Pillars of Hospitarity(ホスピタリティの3つの柱)

  • Life is Service.
  • Lacation,Location,Location.
  • The Guest is Always Right.

みんなのための工夫

モットー:Convenience(便利)、Comfort(快適)、Cleanness(清潔)をモットーに、次のサービスを開始した。

  • 全客室にバスとベイシンを設置
  • 各部屋に等身大の鏡を設置
  • 各部屋にアイスウォーターを入れた魔法瓶を設置
  • 電話機を各部屋に設置、メッセージサービスを開始
  • 入り口のドアの鍵穴を、ドアハンドルの中央に取り付け
  • 部屋の電灯スイッチを、入り口ドアのすぐのところに取り付け
  • 朝刊の無料サービス
  • ランドリーのサービスドアの設置、二重構造にした
  • 全室同じレイアウト、建設コストを下げるため
  • 壁はめ込みのワードローブ

後に、スタットラーホテルチェーンは、全米に11ホテルを展開し、1930年代の大恐慌によって、多くのホテルが倒産する中、スタットラーホテルは発展を続けた。戦後、同一資本の系列店チェーンのモデルとなった。後にヒルトンに引き継がれ、一般大衆が利用できるよう。販売価格を安くするため、建設コストをオペレーションコストを安くし、利潤追求型のホテル経営モデルとなった。
後に、ヒルトンに引き継がれた。

<資料「Statler Hotel Service Code」

Statler Hotel Service Code
A Hotel has just one thing to sell. That one thing is SERVICE.
The Hotel that sells poor service is poor hotel.
The Hotel that sells good service is a good hotel.
It is the object of the Hotel Statler to sell its guests the very best service in the world.
Statler Hotel are operated primarily for the Comfort and Convenience of thier guest.


スタットラーホテル、サービス規定
ホテルはたった一つのことを売る。その一つは「サービス」だ。
貧しいサービスを売るホテルは、貧しいホテルである。
良いサービスを売るホテルは、良いホテルである。
世界で最も優れたサービスを、お客様に売ることが、スタットーラーホテルの使命である。

家族のためのホテル

テキスト「ホテルビジネス基礎編」7ページ

ホリディ・イン

1951年に、テキサス州の住宅建設業者、チャールズ・ケモンズ・ウイルソン氏(Kemmons Wilson 1913~)が妻と五人の子供とともに首都ワシントンに自動車旅行をした際、途中で宿泊した施設が悪かった。
1室10ドルで、幼い子供は2ドルの追加料金、そのうえチップが必要だった。
それで、家族で安く楽しめる車で泊まれるモーテル(モーテル:motor hotel)を作った。1952年テネシー州メンフィスに「ホリディ・イン」を開業した

家族のための工夫

  • 広い客室
  • 大きいベッド
  • エアコン標準化
  • カラーテレビを各部屋に設置
  • 犬小屋も用意
  • 無料駐車場
  • 12歳以下の子供無料
  • チップ不要のセルフサービス
  • 製氷機を設置し、アイスキューブをセルフサービスで無料提供
  • 各種飲み物その他の自動販売機設置
  • ベビーシッターサービス開始
  • 家族で楽しめるレストランを設置
  • 子供が楽しめるようプールを標準装備
  • 満室の際でも他の施設を紹介
  • 前金は要求しないで、無料で予約を確保

日本の宿のはじまり

大化の改新(645年)
大兄皇子(後の天智天皇)や中臣鎌足(後の藤原鎌足)らが蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏本宗家を滅ぼした乙巳の変の後に行われたとされる。天皇の宮を飛鳥から難波宮に移し、蘇我氏など飛鳥の豪族を中心とした政治から天皇中心の政治へ

大化の改新(645年)で、中央集権国家が生まれると、国家が主要な道路の三十里(五里=20キロメートル、例津駅と伊勢若松駅間)ごとに、駅と宿舎を兼ねた「駅戸(えきど)」を設け、馬を飼って公の旅人に供した

http://www.tokyocactus.org/mino/station.html http://www.kus.hokkyodai.ac.jp/users/his1/report.html http://www.kus.hokkyodai.ac.jp/
 

江戸時代

 

参勤交代が宿を発展させた

 

江戸時代(1603年~1868年)には、徳川幕府により五街道と宿駅が定められ、宿場町が発達した。参勤交代の大名は「本陣(ほんじん)」、脇侍は「脇本陣」 庶民は「旅籠(はたご)」に泊まった。
  左から、本陣、脇本陣、旅籠

 
         

西洋文化としてのホテル

資料「歴史区分」

  1. ペリー浦賀に来航(黒船来航
  2. 安政五カ国条約締結で外国人が日本に旅行しにくるようになった

旅行者があると宿が必要となり出来る。だが、当時の日本の生活は、欧米人の生活と、あまりにもかけ離れていた。そこで、西洋式の宿が必要となった。

日本で初めてのホテル

テキスト「ホテルビジネス基礎編」11ページ

資料「ホテル発祥の地」
資料「バーの歴史」

明治時代の横浜

ヨコハマ・ホテル

日本に初めて登場した、西洋式の宿とされている。はっきりはしていないが、当時の錦絵、歌川芳員(うたがわよしかず)が描いた一つが、ヨコハマ・ホテルではないか、と言われている。

日本人が初めて作ったホテル

テキスト「ホテルビジネス基礎編」11ページL4,(12ページに写真)

築地ホテル館

現在の清水建設の二代目、清水喜助が、日本人としてほぼ初めて、本格的に大規模な西洋風の建物を造り、当時は、そのまま、経営と営業も行った。
当時最新の建物で102室、水洗トイレつき、ビリヤード室、シャワー室、バーも備え、「眺望が良い」と外国人も絶賛するホテルであった。連日押すな押すなの人気で見物人が押し寄せ、錦絵が100種以上も作られ、江戸の名所となった。- https://blog.goo.ne.jp/my-encyclopedia/e/52a25ac7585110700c8a7f775f643680 -開業して4年足らずで、大火、火事で消失した。
現在、再建の構想もある。

外国人専用リゾートホテル

テキスト「ホテルビジネス基礎編」15ページ

日本の外国人用の最初のリゾートホテル

富士屋ホテル
創業1878年(明治11年)開業。創業者 山口仙之助は「外国人の金を取るをもって目的とする」という言葉を残し、外国人を対象とした本格的リゾートホテルを目指した。山口仙之助は、箱根の発展に力を注ぎ、私費で道路を開いたり、水力発電会社も立ち上げた。

初代山口仙之助の工夫

観光とホテル

ホテル略史

資料「日本ホテル略史」

日本ホテル略史表紙

昭和21年/1946年発行

ほぼ幕末から昭和16年までの、日本のホテルの全部を記録した本


明治39年

ホテル略史77ページ

引用:日本ホテル略史、77ページ~78ページ

東京商業会議所会頭中野武営「ホテル完備は戦後経営の急務なり」
・・・・
佛国(フランス)が外客より得る所の金額は年々實に80億円を算すと、豈に驚くべき巨額に非ずや。余顧みて日本の風光を見るに山水の美観、風土の良好なると、東洋に於て比すべきものなく、到る處として耳目を楽しましめざる無し。
・・・・
明媚なる山水を賞し愉快に旅程を終えんとしたる珍客をして、此の如く失望せしむるは頗る遺憾の次第なるのみならず、之が為に失う我国の収入の亦少なからざるは更に憂うべきことに属せり、況んや彼らが口々に日本の設備の不完全なるを唱え、他の遊ぶ意を阻むあらば関係する所極めて大なるあるをや、・・・・


つまり、せっかく来てくれた外国人旅行者は、ホテルが少ない、設備が悪いと、苦情を言っているから、もっといいホテルを作ったら、もっと日本に外国人旅行者が増えて、日本国は儲かります。ということ。

明治時代から、観光立国宣言をしていた。そして、ホテルは観光には重要な存在だと主張していた人がいた。

観光と平和

資料「観光と平和」

観光と平和
 近畿日本鉄道を発展させ、都ホテルチェーンを創業した佐伯勇は、昭和38年に次のような論文を発表した。
 「観光産業は『見る』ため、探求するために『行く』という基本的な要素を持っている。また、それは”楽しみ”を求めに行くのだから、結局『行って、見て、遊んで、食べて、休む』という五つの要素から成り立っているといえる。そしてこれらに関するサービスを提供するのが観光産業である。観光施設は、自然美と人工美を調和させて、より美しいものを創造するものでなければならぬ。地球上に一つしかないその土地の特徴を適切にとらえて、そこに世間が求めているものを造らないと成功しない。客層を的確にとらえていない失敗も多い。俗化した温泉地に、清遊に適したハイクラスのホテルを造っても、宿泊客は戸惑うだろう。”客層をとらえて”施設をこれにあうように工夫することも、”土地の特徴をつかむ”ことも、観光産業の常識なのだが、これに反した実例が案外多い。観光は平和とともに栄えるものである。平和な時代が続く限り、観光産業の将来は明るい。それを成長産業にするかどうかは、経営者の手腕にかかっている。」
(※軒上泊、pp.169-171、抜粋引用、一部修正)

今日の学習を、クイズで確認します。
知っていたこと、理解したこと、知らなかったことを整理します。
勉強は、知らなかったことを知ることです。
知らなかったことを知ることは、未来のチャンスを増やすことです。

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